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賛否両論

12月12日、学科生徒全員が参加する、今年3回目の鑑賞校外学習(遠足含む)を行いました。伊丹市美術館で行われている「ベン・シャーン展」と国立国際美術館で行われている「工藤哲巳展」、どちらも当時の社会と向き合った作品を残した作家です。事前指導で渡した冊子には・・・・
今回の鑑賞授業のテーマは「内に向かう形・外に向かう眼」としました。ちょっと難しいタイトルですね。それでは、このタイトルの意味を考えてみましょう。人は普段、「自分以外の何か(外)」に触発され、刺激を受けることによって「自分の思い(内)」を自然に体(態度や顔の表情)で表しています。また「形に表したい」と感じ行動に移すと、それが「絵」であったり、「立体」であったり、「文字や言葉」や「音楽」「踊り」などであり、「自分(内)のやったこと」を「誰か(外)に伝える」ことで、そのことが芸術活動として成り立つのです。
 みなさんは、どうでしょう?これまでに学習し、課題として提出した「作品」は「外に向かって」いるでしょうか?その作品は「内に向かって」工夫されているでしょうか?二つ(二人)の展覧会は、なんとなく鑑賞すると、まったく関連性のないように思われます。しかし、少し真剣にそれぞれの作者の「思い」を観察してみると、二人の作者の共通点が見えてきます。それが「内と外」です。二人の作者は何に触発され、このような作品を作り続けたのでしょう。そして、なぜこのような「表現」をしたのでしょう。作品作りのヒントを探るのはもちろん「作者の考えや思い」を作品から自分なりに引き出してみましょう・・・・と書かれています。
このように、これまでの鑑賞とは違い、生徒たちにとっては難しいテーマでの学習となりました。

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提出された感想文も賛否両論。
タイトルをクリックすると、その抜粋がご覧いただけます。
(少し長いです)(K)
私が思うベン・シャーンと工藤哲巳の二人に共通するところは「生」だと感じた。互いの作風は異なるが、そこが伝えたいもののあり方なんだと。ベン・シャーンは時代、表情、感情、残像、訴えの人間の内側の秘めた思いが強く、強烈に脳に響いた。一方、工藤哲巳は人間の見た目の「生」。コンプレックスも私自身、その人自身の魅力。つまり、それがあるから生きていけるという事。(中略)最後に、今回の校外学習は非常に「生」について考えました。二人の思いを伝える手段は異なるが、「生」について考えるアーティストについて、もっと知りたい。また、その真意を見つけたい。(2年H.M)
ベン・シャーンと工藤哲巳の作品の共通点。二人の作品を見るまでは何かしら共通点があるだろうと思いましたが、まるでわかりませんでした。何とかひねり出したのが、二人の作品の人々は何かに捕らわれている気がしました。時が止まっているような、未来がないように感じました。決して二人が止まったわけではないけれど、二人によって作られた作品の中の人々は、何かに欠けているような気がしました。もしかしたら、すごく見当違いのことを言っているかもしれませんが、これが私の見つけた共通点です。
(2年S.H)
二つの展覧会を鑑賞して感じたことは、二人の作品は、全く違う作風だけれど訴えたいことや作品に込められた思いは似ていると思いました。社会を批判するような主題が心に直接問いかけてくるようで体が震えました。ベン・シャーンはまだ主題や作品の意図がわかりやすく理解できたけれど、工藤哲巳の作品は不可解で珍妙な作品が多くて理解に苦しみました。しかし、二人の作品によって色々な人たちが影響を受けたように、私の中の世界観が変化したように思います。(2年H.Y)
夢を語っていないこと。ベン・シャーンにしろ、工藤哲巳にしろ、一枚もきっちり似せた絵がないし、夢がなく現実を見つめている。笑顔も楽しそうな顔もない。ご飯を食べたくなくなるような作品ばかりで感動もなく、見た後はポッカリ穴が開いた思いでした。幸せに思えるものがありませんでした。きっと二人とも、夢ではなく辛い現実や本当のことを見て感じ取ってほしかったんだと思いました。不思議としか思えなかったですが、夢物語が壊され現実を見せられた。だから、もう一度見たくないと思います。楽しくなかった。(2年S.C)